2008年8月23日土曜日

ABBAの時代

ども。
ボーカル&ピアノの飯島です。
シマガン的名盤アワー、第一回のマナサスは激シブでしたね。
私も書いてみよっと。

私が一番影響を受けたのは、何と言ってもアバであります。
今回ご紹介するのは、有名なダンシングクィーンが入っている1976年の名盤「アライバル」。


日本ではこのあたりからアバの快進撃が始まります。
子どもの私も思いっきり洗礼を受けました。
お小遣いをためて、今はなきディスコメイトレコード盤で購入したのをおぼえています。
1曲目の「ホエンアイキスドザティーチャー」が好きやったなぁ。
先生にキスした時、やもんね。ドキドキしたわー。
このアルバムと次作の「ジ・アルバム」あたりまでは、アコースティックな味わいとディスコビートが微妙にブレンドされていて、実に素晴らしい。
個人的にはレノン/マッカートニーに並ぶソングライターコンビとして、アバのビヨルン/ベニーは外せないところだと思っています。
子どもの頃の体験というのは根深いもので、私は今も身体にアバの血が染み付いていて、時々「あ、これってアバやん」ってのをやっているので、もしかするとシマガンの音楽の中にもアバの影響を感じることが出来るかもしれませんよ。
70年代の後半、アバがどれだけ成功していたか、というのを物語るエピソードとして、アバはスウェーデン国王より金持ちになった、いうのがあり、アバのポーラスタジオは世界最高の設備を誇っていたそうです。当時、夢の機材と言われた”デジタルディレイ"!があったそうな。ちなみに、このスタジオでレッドツェッペリンは「インスルージアウトドアー」を録音しております。
解散後の80年代後半あたりはアバのCDも入手しにくい状況でしたが、90年代に入り、ヨーロッパのアンダーグランドカルチャーを中心に大いにリスペクトされ、ベスト盤が大ヒット。機を見るに敏なU2がアクトンベイビーツアーで「ダンシングクィーン」をカバーしたりして、再評価の波に乗り、すっかり殿堂入り。
近年ではビヨルンとベニーはアバを題材としたミュージカル「ママミア」を大ヒットさせております。
私は劇団四季の「ママミア」は観た事がないですが、今度映画化されるらしいので、ぜひ観たいもんです。
先日ネットニュースでアグネサ、フリーダ、ビヨルン、ベニーが久々に揃っている写真を見かけましたが、4人とも、いいおじいちゃん、おばあちゃんになっていましたなー。
ああ。